チェロの歴史を調べると、「いつ生まれたの?」「チェロを作った人は誰?」「ストラディヴァリが発明したの?」「そもそもチェロという名前はどこから来たの?」と、いくつもの疑問が出てきます。
最初に結論を押さえておくと、チェロには「この人物が、この年に発明した」と特定できる一人の発明者はいません。現在のチェロにつながるヴァイオリン属の低音楽器が16世紀の北イタリアで発達し、その後、製作家や演奏家、作曲家たちによって長い時間をかけて改良されてきました。
初期の歴史ではクレモナのアンドレア・アマティ、現在につながる楽器の洗練ではアントニオ・ストラディヴァリ、独奏楽器としての発展では17世紀後半のボローニャで活躍した演奏家や作曲家たちが重要です。
つまり、チェロは一人の発明者によって突然生まれた楽器ではないということが、歴史を理解するうえで最初のポイントです。
ここでは、チェロがいつ、どこで生まれたのかを出発点に、チェロを作った人、語源、本場といえる地域、そして独奏楽器として現在の姿へ近づいていった流れまで、順番に見ていきます。
チェロの歴史と起源
チェロはいつ生まれたのか
現在「チェロ(cello)」と呼ばれている楽器の起源は、16世紀前半までさかのぼります。
ただし、「世界最初のチェロが○年に完成した」といえるような正確な誕生年は分かっていません。これはチェロが、完成した設計図をもとに一度に発明された楽器ではないためです。
16世紀初頭には、後のチェロにつながる低音域のヴァイオリン属楽器が使われていたことを示す記録があります。1530年代になると、低音域を担当する擦弦楽器について図像や文献上の証拠も確認できるようになります。
そして16世紀半ばには、北イタリアのクレモナやブレシアを中心としてヴァイオリン属の楽器製作が発達していきました。
ヴァイオリン属というと現在ではヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなど、形や役割の決まった楽器を思い浮かべます。現在の各楽器については、バイオリン・ビオラ・チェロの違いを大きさや音域、調弦から比べると位置関係をつかみやすくなります。しかし成立期には、現在ほど楽器の大きさや弦数、名称などが統一されていませんでした。
高い音域を担当する楽器だけでなく、合奏の低音を担当するための大型の擦弦楽器も作られ、その中から現在のチェロへ直接つながる系統が発達していったと考えると分かりやすいでしょう。
そのため、「チェロはいつ誕生したのか」という質問には、特定の一年を答えるよりも、「起源は16世紀前半までさかのぼり、16世紀半ばの北イタリアで現在のチェロにつながる低音ヴァイオリン属が本格的に発達した」と整理するほうが実態に近くなります。
また、16世紀の楽器を見て「これは現代のチェロとまったく同じものだ」と考えるのも注意が必要です。後に説明するように、当時の低音楽器には現在より大きなものがあり、弦の数や調弦にも違いがありました。
さらに重要なのが名称です。楽器が先に存在し、「violoncello」という名称が後から定着していきました。つまり、「チェロという楽器の起源」と「チェロという名前の誕生」は、同じ時期の出来事ではありません。
チェロ以前の低音弦楽器
チェロは何もないところから突然誕生したわけではありません。
中世からルネサンス期のヨーロッパには、弓で弦をこすって音を出すさまざまな擦弦楽器が存在していました。レベック(rebec)、ルネサンス期のフィドル、リラ・ダ・ブラッチョ(lira da braccio)、ヴィオール属などです。
こうした豊かな擦弦楽器文化を背景として、16世紀にヴァイオリン属が成立していきました。その低音域を担当する楽器が、現在のチェロへつながっていきます。
初期の低音楽器については、「bass viola da braccio(バス・ヴィオラ・ダ・ブラッチョ)」という名称が使われた例があります。
「da braccio」は「腕で」といった意味につながる言葉で、脚に構えて演奏するヴィオラ・ダ・ガンバ系統と区別する際にも使われました。
ただし16~17世紀には名称がまだ統一されておらず、bass viola da braccioのほか、basso da braccio、bass violin、violone、violoncinoなど、地域や時代、資料によってさまざまな呼び方が登場します。
ここで初心者が混同しやすいのが、チェロとヴィオラ・ダ・ガンバの関係です。
ヴィオラ・ダ・ガンバも低音域を担当できる擦弦楽器で、チェロの成立期と重なる時代に盛んに演奏されていました。そのため「ヴィオラ・ダ・ガンバが改良されてチェロになった」と説明されることがあります。
しかし、これは歴史を単純化しすぎています。
チェロは基本的にヴァイオリン属の低音楽器として発展したのであり、ヴィオラ・ダ・ガンバ属とは構造、弦数、調弦、演奏方法などに違いがあります。両者は同じ時代に並行して存在していました。
もう一つ注意したいのが「violone」という名称です。
現在の感覚では、楽器名を見れば特定の大きさや調弦を想像できます。しかし17世紀以前の楽器名称は、現代ほど厳密に標準化されていません。
そのため古い資料に「violone」と書かれていても、それが必ず現代のチェロを意味するわけではなく、反対に現代のコントラバスだけを意味すると決めることもできません。
どのような楽器を指しているのかは、資料が作られた時代や地域、編成などを含めて判断する必要があります。
初期チェロと現代チェロの違い
現代の標準的なチェロは4本の弦を持ち、低い方からC、G、D、Aに調弦します。これはヴィオラより1オクターブ低い調弦です。
演奏するときは椅子に座り、楽器を両脚の間に構え、胴の下から伸びるエンドピンを床につけて支える姿が一般的です。こうした現代の構え方は、バイオリンの特徴や構造との違いを見ると、同じ弓奏弦楽器でも演奏姿勢が大きく異なることが分かります。
しかし、16~17世紀の低音ヴァイオリン属を見ると、この「チェロらしい姿」が最初から完成していたわけではないことが分かります。
まず、大きさが一定ではありませんでした。
低音を十分に鳴らすには低い音を出せる弦が必要です。初期には、そのために長い弦や大きな胴を持つ楽器が作られていました。現在の標準的なチェロより大型のbass violinタイプの楽器も存在しています。
弦数についても統一されていません。現代では4弦が標準ですが、初期には時代や地域、製作家によって異なる弦数の楽器が作られていました。
現存する歴史的なチェロにも3弦から5弦以上の例があり、形成期には大きさや仕様が現在ほど統一されていなかったことが分かります。
調弦も最初からC-G-D-Aに統一されていたわけではありません。つまり、16~17世紀の低音ヴァイオリン属をすべて「現在のチェロと同じ仕様」と考えることはできません。
大きな変化につながったのが、17世紀後半に発達した弦の技術です。
ガット弦に細い金属線を巻く巻線技術が使われるようになると、以前ほど長く太い弦や巨大な胴に頼らなくても、実用的な低音を得やすくなりました。
これによって低音楽器を小型化しやすくなり、演奏のしやすさや機動性の向上にもつながっていきます。
18世紀にかけて現在につながる大きさ、4弦、C-G-D-Aの調弦が次第に定着していきました。
興味深いことに、古い大型チェロの中には、後世の演奏環境に合わせるため、胴を切り詰めて小さくされた楽器もあります。
演奏姿勢にも違いがあります。
現在ではエンドピンを床につけることが一般的ですが、バロック期などの演奏図では、エンドピンを使わずに楽器を両脚で保持している例が見られます。
19世紀以降になるとエンドピンの使用が徐々に一般化し、現在よく見るチェロの演奏姿勢へ近づいていきました。
このように考えると、現在のチェロは「16世紀に完成して、そのまま現在まで残った楽器」ではありません。楽器の大きさ、弦、調弦、構造、演奏姿勢まで、何世紀にもわたって変化してきたのです。
チェロを作った人は誰?
「チェロを作った人は誰?」と検索すると、アンドレア・アマティやアントニオ・ストラディヴァリといった有名な製作家の名前が見つかります。
しかし、チェロの歴史を正確に理解するためには、「最初に発明した人」と「現在のチェロの発展に大きく貢献した人」を分けて考える必要があります。
チェロには、特許発明品のように「この人が最初の一台を作った」と確認できる一人の発明者はいません。
ヴァイオリン属そのものが16世紀の北イタリアで形成され、その低音楽器についても複数の製作家によってさまざまな大きさや仕様の楽器が作られました。
その長い発展の中で、初期チェロ史を知るうえで特に重要な人物がアンドレア・アマティです。
アンドレア・アマティとKing
アンドレア・アマティ(Andrea Amati)は、16世紀にイタリア北部のクレモナで活動した弦楽器製作家です。
クレモナは後に世界的な弦楽器製作の中心地として知られるようになりますが、その伝統を築いた初期の代表的な人物がアマティでした。
アマティはヴァイオリン、ヴィオラ、低音楽器などを製作し、ヴァイオリン属の形成と標準化を考えるうえで非常に重要な位置にいます。
そしてチェロの歴史で特に有名なのが、アマティが製作した「King(キング)」です。
National Music Museumが所蔵するアンドレア・アマティ作のKingは、16世紀半ばに製作された歴史的な低音ヴァイオリン属の楽器です。
Kingは、現存する最古級のヴァイオリン属の低音楽器として知られています。現在まで実物が残っているため、初期の低音ヴァイオリン属を知るための非常に貴重な資料です。
この楽器はフランス王シャルル9世の宮廷に関係する弦楽器群の一つとして知られ、王室を示す装飾や紋章が施されています。
ただし、現在残るKingの姿を、そのまま16世紀当時のチェロの標準形だと考えてはいけません。
Kingはもともと現在よりかなり大型のbass violinでした。後世に楽器の大きさが縮小され、現代のチェロに近い寸法へ改造されています。
装飾を見ると、胴を縮小したことによる変化も確認できます。歴史的な楽器が、後世の音楽や演奏環境に合わせて作り替えられてきたことを示す代表的な例でもあります。
それでもKingの存在は重要です。
少なくとも16世紀半ばには、現在のチェロへつながるヴァイオリン属の低音楽器がクレモナで高い製作水準に達していたことを、現存する実物から知ることができるからです。
アマティは発明者なのか
Kingが非常に古い楽器であることから、「それならアンドレア・アマティがチェロを発明した人なのでは?」と思うかもしれません。
しかし、ここは区別が必要です。
アマティ以前や同時代にも、ヴァイオリン属の低音楽器が存在していたことを示す記録があります。また、チェロは既存の擦弦楽器文化の中から段階的に形成されたため、最初の一台や発明者を一人に確定することができません。
「現存する非常に古い楽器を製作した人」と、「世界で初めてその種類の楽器を発明した人」は同じ意味ではないのです。
したがって、アンドレア・アマティを「チェロの発明者」と断定するのは適切ではありません。
アマティについては、「初期チェロの歴史を代表する最重要製作家の一人」「現存最古級のヴァイオリン属低音楽器を製作した人物」と理解するほうが正確です。
これはチェロの歴史そのものを理解するうえでも大切な考え方です。
チェロは一人の製作家によって完成したのではなく、さまざまな製作家が大きさや構造を工夫し、弦の技術が発達し、さらに演奏家が新しい奏法を試すことで少しずつ変化してきました。
ストラディヴァリが果たした役割
チェロの歴史でもう一人、非常に有名なのがアントニオ・ストラディヴァリ(Antonio Stradivari)です。
ストラディヴァリは17世紀から18世紀にかけてクレモナで活動した弦楽器製作家で、ヴァイオリン製作史を代表する人物として広く知られています。
チェロも製作しているため、「ストラディヴァリがチェロを作った人」「ストラディヴァリがチェロを発明した」と思われることがあります。
しかし、ストラディヴァリが本格的に活動する以前から、チェロにつながる低音ヴァイオリン属は存在していました。アンドレア・アマティのKingも、それよりはるか以前の楽器です。
したがってストラディヴァリも、チェロの発明者ではありません。
では、なぜチェロの歴史でストラディヴァリが重要なのでしょうか。
大きな理由の一つが、チェロの寸法と設計の洗練です。
17世紀後半には、ガット弦へ細い金属線を巻く技術が発達しました。低音を出すために極端に長い弦や大きな胴を必要とする度合いが小さくなり、より扱いやすい大きさの低音楽器を作りやすくなります。
ストラディヴァリはこうした時代の技術的変化の中でチェロを製作し、1700年以降にはより小型のチェロも手がけました。
その代表例の一つが1714年製の「Batta-Piatigorsky」です。Metropolitan Museum of ArtのBatta-Piatigorsky Violoncelloの解説でも、巻線の発達とストラディヴァリによるチェロの小型化について確認できます。
このような小型化されたモデルは、演奏のしやすさだけでなく、チェロが技巧的な独奏を担っていく流れとも関係していました。
したがってストラディヴァリについては、「チェロを発明した人」ではなく、現在につながるチェロの寸法や設計を洗練した重要な製作家と理解するとよいでしょう。
アマティとストラディヴァリの役割を整理すると、アマティは16世紀の初期ヴァイオリン属製作を代表する人物であり、ストラディヴァリはその後の時代に楽器をさらに洗練させた人物と考えることができます。
チェロの語源と名前の由来
日本語では当たり前のように「チェロ」と呼んでいますが、この名前にも長い歴史があります。
英語では一般的に「cello」、イタリア語では「violoncello」と呼ばれます。日本でも正式名称として「ヴィオロンチェロ」や「violoncello」という表記を見ることがあります。
そして重要なのは、チェロという楽器が成立していく時期と、violoncelloという名称が定着した時期にはずれがあることです。
violoncelloの意味
「violoncello」はイタリア語です。
その語源をたどると、「viola」や「violone」といった言葉との関係が見えてきます。
概念的には、violaに「大きい」という意味合いを持たせた語としてvioloneがあり、そこへ「小さい」という意味を持つ指小辞が加わってvioloncelloという名称が形成されたと説明できます。
少し不思議に感じるかもしれませんが、語の構造としては「大きなヴィオラより小さいもの」といった意味合いになります。
ここで気をつけたいのが、先ほども登場した「violone」です。
現代の楽器名の感覚で「violoneとはこの楽器」と一つに固定すると、歴史資料を誤解する可能性があります。
16~17世紀には楽器名称が現在ほど標準化されておらず、violoneという言葉が示す楽器の大きさや調弦も、時代や地域によって一定ではありませんでした。
したがって、violoncelloの語源を理解するときの「violone」と、個々の楽譜や文献に書かれている「violone」が具体的に何を指しているのかは、分けて考える必要があります。
また、現在のチェロへつながる楽器そのものは、「violoncello」という名称が一般化するより前から存在していました。
初期にはbass viola da braccio、bass violin、basso da braccioなどの名称が使われ、17世紀前半には「violoncino」という類似した名称も資料に現れます。
「violoncello」という語の初期の重要な用例として知られているのが、1665年のジュリオ・チェーザレ・アレスティ(Giulio Cesare Arresti)の作品です。
その後、1680年代にはイタリアでvioloncelloという名称が広まり始めますが、すぐに古い呼称がすべて消えたわけではありません。violoneなどの名称も並行して使われていました。
つまり歴史の順序は、「violoncelloという名前が考案され、その名前に合わせて楽器が作られた」のではありません。
楽器の成立が先で、violoncelloという名称の定着は後だったと考えると理解しやすくなります。
celloと略されるようになった理由
現在では「violoncello」という正式な名称よりも、「cello」という短い呼び方のほうが一般的です。
celloはvioloncelloを短縮した呼称で、英語圏を中心に定着しました。日本語の「チェロ」も、このcelloに由来しています。
したがってcelloとvioloncelloは、基本的に同じ楽器を指しています。
「チェロ」と「ヴィオロンチェロ」という別々の楽器があるわけではありません。日常的にはcello、より正式な名称としてvioloncelloが使われると考えると分かりやすいでしょう。
英語でcelloという短縮形が一般化していったのは、楽器そのものが誕生した16世紀よりずっと後のことです。
ここでも、楽器、正式名称、短縮名称がそれぞれ異なる時期を経て定着したことが分かります。
チェロの歴史を調べると古い資料にさまざまな名称が出てくるのは、このためです。
現代の楽器名だけを基準に過去を見るのではなく、「当時は楽器の形も名前もまだ変化の途中だった」と考えると、bass violin、violone、violoncino、violoncelloといった複数の名称が登場する理由を理解しやすくなります。
チェロの本場はイタリア
「チェロの本場はどこ?」という質問には、まず「イタリア」と答えることができます。
現在のチェロへつながるヴァイオリン属の楽器は、16世紀の北イタリアで発達したためです。
特に重要なのがクレモナとブレシアです。16世紀には、この二つの都市を中心としてヴァイオリン属の製作文化が発達しました。
ただし、「チェロの本場=クレモナ」とだけ覚えると、チェロが独奏楽器として成長していく歴史の重要な部分が抜けてしまいます。
チェロ史では、何を「本場」と考えるかによって注目する都市が変わります。
発祥や楽器製作の歴史ではクレモナが特に重要ですが、17世紀後半にチェロ演奏や独奏曲が発展した場所としてはボローニャが欠かせません。
そのため、製作史ではクレモナ、独奏文化の発展ではボローニャと整理すると、チェロの「本場」をより正確に理解できます。
製作の中心地クレモナ
クレモナは現在のイタリア北部、ロンバルディア州にある都市です。
弦楽器に興味がある人なら、「クレモナ」という地名を一度は聞いたことがあるかもしれません。それほどヴァイオリン属の製作史と深く結びついた都市です。
16世紀にはアンドレア・アマティが活動し、クレモナにおけるヴァイオリン製作の重要な伝統を築きました。
その製作文化はアマティ一族へ受け継がれます。
17世紀にはニコロ・アマティがアマティ家の伝統を継承し、クレモナの弦楽器製作に大きな影響を与えました。
さらにクレモナでは、グァルネリ一族などの名工が登場します。そして17世紀後半から18世紀にかけて活躍したアントニオ・ストラディヴァリへと、世界的に知られる弦楽器製作文化が展開していきました。
チェロの歴史だけを見ても、クレモナの重要性は明らかです。
アンドレア・アマティのKingは、現存する最古級の低音ヴァイオリン属として初期チェロ史を知る大きな手がかりになっています。
そして約1世紀以上後には、同じクレモナでストラディヴァリが、より小型で扱いやすいチェロの製作を進めました。
つまりクレモナでは、「チェロにつながる初期の大型低音楽器」から「現在の標準的なチェロへ近づく洗練された楽器」まで、長い発展の過程を見ることができます。
そのため、発祥や製作の歴史という意味で「チェロの本場はどこか」と問われた場合、イタリア、とりわけクレモナは最も重要な答えの一つになります。
一方、16世紀の北イタリアではブレシアもヴァイオリン属製作の重要な中心地でした。チェロの成立を一都市だけの出来事として見るのではなく、北イタリアに広がっていた弦楽器製作文化の中で捉えることも大切です。
独奏文化が発展したボローニャ
チェロ史でもう一つ重要なイタリアの都市がボローニャです。
クレモナが製作史で大きな役割を果たしたのに対し、ボローニャは17世紀後半のチェロ演奏と独奏曲の発展を考えるうえで重要です。
当初、チェロにつながる低音楽器の主な仕事は、合奏の低音部を支えることでした。
現在ではチェロ協奏曲や無伴奏作品を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし成立初期から、現在のように独奏舞台の中心で技巧的な旋律を演奏することが主な役割だったわけではありません。
17世紀後半になると状況が変わっていきます。
ボローニャでは、サン・ペトロニオ聖堂やアカデミア・フィラルモニカなどが重要な音楽活動の拠点となり、優れた演奏家や作曲家が活動しました。
また、巻線技術の発達によって比較的小型のチェロでも十分な低音を得やすくなったことは、楽器の扱いやすさを高める方向へ働きました。
低音を支えるだけでなく、旋律を弾き、速い音型や技巧的な表現を担う可能性が広がっていきます。
その流れを代表する人物の一人が、ドメニコ・ガブリエッリ(Domenico Gabrielli)です。
ガブリエッリは17世紀後半のボローニャで活動したチェリスト兼作曲家で、サン・ペトロニオ聖堂などで演奏しました。
1689年には、無伴奏チェロのための7つの「Ricercari(リチェルカーレ)」を残しています。
これは無伴奏チェロのために書かれた最初期の重要作品群として知られ、チェロが単なる伴奏用低音楽器ではなく、一台で音楽を表現する独奏楽器へ進んでいたことを示しています。
ガブリエッリはこのほかにも、チェロと通奏低音のための作品や、2台のチェロを用いる作品を残しました。
このような歴史から、チェロの本場を考えるときは「イタリア」という国だけでなく、クレモナとボローニャの役割の違いを見ると理解が深まります。
クレモナでは楽器そのものの製作技術が発展し、ボローニャではその楽器を使った新しい演奏表現が開拓されていったのです。
独奏楽器へ発展したチェロ
チェロの歴史で大きな転換点となったのが、「低音を支える楽器」から「旋律や技巧を表現する独奏楽器」への発展です。
16~17世紀の低音ヴァイオリン属は、合奏の低音を支える用途が中心でした。
もちろん低音を担当する役割は現在のオーケストラや室内楽でも重要ですが、17世紀後半以降、チェロにはそれだけではない可能性が見いだされていきます。
先ほど紹介したボローニャのドメニコ・ガブリエッリは、その流れを代表する人物です。
1689年の無伴奏リチェルカーレのような作品では、チェロ自身が旋律を担います。伴奏の後ろで低音を弾くのではなく、チェロ一台が音楽の中心になります。
これはチェロの歴史を考えるうえで大きな変化です。
18世紀になると、独奏楽器としてのチェロの可能性はさらに広がりました。
アントニオ・ヴィヴァルディは多数のチェロ協奏曲やソナタを作曲しています。
協奏曲では、チェロが合奏の一部として低音を支えるだけではなく、独奏者として前面に出て演奏します。速い音型から歌うような旋律まで、チェロが持つ幅広い表現力が生かされるようになりました。
そしてチェロの歴史を語るとき、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの無伴奏チェロ組曲BWV 1007~1012も欠かせません。
6曲からなるこの作品群は、現在でもチェロを代表する独奏レパートリーです。
無伴奏、つまり基本的にチェロ一台で演奏される作品でありながら、旋律だけではなく、複数の声部を感じさせる音楽や和声的な広がりまで表現されます。
チェロが単に低い音を担当するための楽器ではなく、一台で豊かな音楽世界を作れる楽器であることを象徴する作品群といえるでしょう。
バッハの無伴奏チェロ組曲はチェロ以外の楽器へ編曲されることもあり、たとえば日本の有名サックス奏者を紹介した記事では、清水靖晃によるテナーサックスでの無伴奏チェロ組曲の演奏にも触れています。チェロのために書かれた作品が、楽器を越えて演奏され続けている例の一つです。
18世紀後半になると、ルイジ・ボッケリーニも重要な存在になります。
ボッケリーニは1743年生まれのイタリア出身のチェリスト兼作曲家で、チェロの高度な技巧を生かした作品を数多く残しました。
作曲家自身が優れたチェロ奏者だったこともあり、チェロの高音域や技巧的な動きを積極的に用いた作品が書かれ、楽器の表現範囲はさらに広がっていきます。
こうして18世紀には、チェロは独奏、室内楽、オーケストラのいずれでも重要な位置を占めるようになりました。
19世紀に入ると、楽器を取り巻く環境も変化します。
演奏会場の大型化やオーケストラの発展に伴い、弦楽器にはより大きく力強い音が求められるようになりました。
そのため、16~18世紀に作られた古い楽器でも、後の時代の演奏環境に合わせて手が加えられた例があります。
ネック、指板、駒、バスバーなどが変更されることがあり、現在残っている歴史的なチェロが、製作当時の状態を完全に保っているとは限りません。
アンドレア・アマティのKingが後世に小型化されたことも、その分かりやすい例です。
演奏姿勢も変わりました。
バロック期のチェロは、エンドピンを床につけずに両脚で楽器を支えて演奏する方法が一般的でした。
19世紀以降になるとエンドピンの使用が次第に広がり、楽器を床で支える現在のスタイルへ近づいていきます。
20世紀以降には、チェロは独奏、室内楽、オーケストラのすべてで主要な楽器として定着しました。実際にチェロの演奏を学びたい場合は、チェロにも対応しているEYS音楽教室のようなレッスンも選択肢の一つです。
現在の姿だけを見ると、4本の弦、C-G-D-Aの調弦、エンドピンを使う演奏姿勢などが昔から当然だったように感じます。
しかし歴史をたどると、それらは長い時間の中で少しずつ定着したことが分かります。
16世紀前半には低音ヴァイオリン属の記録が現れ、16世紀半ばには北イタリアで楽器製作が発達しました。
17世紀にはvioloncelloという名称が登場し、巻線技術などの発達によって楽器の小型化が進みます。17世紀後半のボローニャでは独奏文化が成長し、18世紀にはヴィヴァルディ、バッハ、ボッケリーニなどによってレパートリーが大きく広がりました。
そして19世紀以降、楽器の構造や演奏姿勢が近代的な環境へ対応し、現在のチェロへつながっていきます。
現在のチェロは数世紀にわたる改良と演奏文化の積み重ねによって形づくられた楽器なのです。
まとめ
チェロの歴史は16世紀前半までさかのぼります。現在につながるヴァイオリン属の低音楽器は、16世紀の北イタリア、とくにクレモナやブレシアを中心とする弦楽器文化の中で発達しました。
「チェロを作った人は誰?」という疑問に対しては、一人の発明者を挙げることはできません。
アンドレア・アマティは初期チェロ史を代表する重要な製作家で、現存最古級の低音ヴァイオリン属であるKingを製作しました。しかし、それ以前や同時代にも低音ヴァイオリン属の存在を示す記録があるため、アマティをチェロの発明者と断定することはできません。
アントニオ・ストラディヴァリも発明者ではありません。17世紀末から18世紀初頭にかけて、より小型で扱いやすいチェロを製作し、現在につながる寸法や設計の洗練に大きく貢献した人物として重要です。
「チェロ」という名前は、イタリア語のvioloncelloを短縮したcelloに由来します。楽器自体はvioloncelloという名称が定着する前から存在し、1665年にはこの語の初期の重要な使用例が確認されています。
チェロの本場を歴史から考えるなら、国としてはイタリアです。その中でも、発祥・製作史ではクレモナを中心とする北イタリアが重要で、17世紀に独奏楽器として発展していく過程ではボローニャが大きな役割を果たしました。
初期のチェロは現在と同じ大きさ、弦数、調弦、演奏方法に統一されていたわけではありません。楽器の小型化、巻線の発達、4弦と調弦の定着、独奏レパートリーの拡大、エンドピンを使う演奏姿勢など、さまざまな変化を経て現在の姿へ近づきました。
チェロの歴史を一人の発明者や一つの年代だけで説明できないのは、この楽器が長い時間をかけて育ってきたからです。製作家による工夫、弦などの技術的な発達、そして演奏家や作曲家による新しい表現への挑戦が重なり、現在のチェロへつながっています。

